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ルートヴィッヒ美術館コレクション「ピカソ展」のこと

2007年3月1日から3月25日まで、大丸ミュージアム・梅田で、ルートヴィッヒ美術館コレクション「ピカソ展」がありました。

私はピカソが大好きなもので、気持ちを高ぶらせながら、観に行きました。ウイークデーではありましたが、とても沢山の人がピカソの絵に引かれて見学していました。
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ルートヴィッヒ美術館は、ドイツケルン市にあり、ケルン駅と大聖堂に隣接しています。

個人の援助によって発展した市民コレクション型美術館としてはドイツで最も古いものだそうです。

現在、ルートヴィッヒ美術館は、アグファ・フォト=ヒストラマ、コンサート・ホール、図書館やカフェなどとともに総合芸術施設として一つの建物に統合されています。

事前調査が充分でないままの見学でした。

ルートヴィッヒ美術館コレクションの知識を持っていれば、もっと楽しめる見学が出来たと反省しています。

勿論、ここでの見学が終わってから、会場出口で、ピカソ展の冊子を購入して、いつものように後からの勉強をしました。

いつものように会場入り口では、「ピカソ展」の出展リストをいただきました。このリスト順に、展示品を見学しました。
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ピカソほど20世紀の芸術を具現化した人物はいないと言われます。

彼は、一生涯持ち続けた精力的な創造力は高齢になっても一向に衰えず、まるで永遠に造形し続けることが出来る創造主の化身のようだったと言われています。

多面性を持つピカソの作品は、芸術界における豊な創造力であり、革新の象徴とみなされるようになりました。

また、ピカソは「近代美術」と同義語としてもよく使われます。

ほぼ80年にまたがるピカソの壮大な仕事は、異質な両極の間を悠然と行き来しました。

伝統、革新、変革を統合し、古典とアヴァンギャルドを調和させました。

優美、生きる喜び、官能の喜び、そして戦争の恐怖を語り、ついには絶対的自由と、前進し続ける芸術至上の自由に到達しました。

目で見たそのままの生命に姿形を与えました。その為、ピカソはさまざまな造形的表現方法を駆使しました。

例えば、油彩の他に素描、水彩を描き、膨大なシリーズの版画を繰り返し作成しました。

同時に、陶芸で実験し、古典的手法で粘土を形作り、ブリキ板からフォルムを切り抜いたり、偶然見つけて拾った物を寄せ集め、思いついた新しい創造物を生み出したりしました。

ルートヴィッヒ美術館コレクション「ピカソ展」では、ピカソが作成した広範囲な作品が展示されていました。

その中で、素描、版画が豊富に展示されていた印象を持ちました。

展示画の中では、ピカソが崇拝する神様「ミノタウロス」が沢山描かれていました。

ミノタウロスは頭が猛獣の姿をし、首から下は人の姿をしています。ミノタウロスは、彼の化身のように感じました。

そして、この人のような化身が女性を犯している絵が、私にとって、とても強烈な印象を与えました。
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また、女性の性器が大きく描かれていました。このほか多く描かれていた「裸婦」の絵でも、女性の性器が大きく露骨に描かれていました。

ピカソにとって、女性の性器は何か格別なものとして写っているように感じました。ピカソの中で、女性の性器は、特別な意味を持つ存在だったのかも知れません。

男性の性器も描かれていましたが、女性の性器の方が強烈に感じられました。これは、私が男性であることから来るものだと思います。

「ピエロ」や「アルルカン」、「銃士」が多く描かれていました。また、版画やエッチングも、とても上手であることを知りました。

陶芸も多く展示されていました。彼にとって、作品作りで創造性を湧かせるために、陶芸はとても大切な存在であったように思いました。

油彩、素描、水彩、版画、陶芸、何れも素晴らしく、そして、それらのいずれにもオーラが漂っていました。
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やはり、ピカソは世界の画家の中で存在しなくてはならない「大切な人物」であったように感じました。

今回、ピカソ展の印象を書きました。
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by kouchan-life | 2007-03-31 03:26 | 文化

「ゲド戦記」宮崎吾朗監督の講演会「わたしの映画わたしの読書」のこと

2007年2月17日(土)、茨木市立生涯学習センターで、アニメ映画「ゲド戦記」の監督・宮崎吾朗さんの「わたしの映画わたしの読書」と題する講演会があり、参加しました。
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私は、アニメ「ゲド戦記」を見ていなく、宮崎吾朗監督のこともまったく知りませんでした。

しかし、私の娘から「ゲド戦記」はとっても面白いアニメだからと教えられていたので、この講演会には、特別に興味を持って出かけました。

講演会では、タイトルの如く、「宮崎吾朗監督が小学生以前から大人になるまでの間、読書の仕方がどのように変化してきたかと言うこと」と、彼がアニメ映画「ゲド戦記」をどのように製作してきたかということにフォーカスして話されました。

ここでは、話の中で、特別に感動した部分を取り上げて書きます。

最初、宮崎吾朗監督が小学生以前から大人になるまでの間、読書の仕方がどのように変化してきたかと言う部分から書きます。

彼は1967年生まれです。当時、子供の絵本が流行っていたようです。そして、バラエティーに富んだ絵が多かったようです。

絵本「こどもの友」シリーズの絵を眺めていたと話されていました。眺めていて、読んでいたのではないと強調されていました。

小学生の時に見た絵本のことをよく覚えていますと話されました。絵本は、目からの視覚情報が刺激的だからと言っておられました。

「見る」、「聞く」、「触れる」など多くの感覚を使うと記憶がどんどん強く認識されて行きます。

テレビの「アニメーション」は「音」と「映像」の2つだから、強く記憶に残ります。アニメーションの監督として感じておられる大切な事なんだと思いました。

次に、「時間の動き」のことを話されました。

大人と子供では、時間の動きが違っていますと言われました。子供が30分と感じているところを、大人は60分の長さに感じるようなことです。子供の時間のほうが短いと言うことです。

また、ご両親の話をよくされました。

両親からは、「テレビアニメは見るな!」と言われて育ちましたと話されました。

映画も、一年間に一回観に行く態度で、その後は、この映画のことを反芻し思い出しながら夢を育んでいましたと話されました。

今の子供は、テレビアニメを一日に何回も見るので、このような反芻して夢を追いかけることをしなくなったと話されました。

昔の方が夢を育むことを多くしたので、この点は、昔の頃の方が良かったと感じました。

小学生の頃は、母親から「本を読みなさい!」とよく言われたと話していました。所沢市に住んでいて、「移動図書館」に良く行ったそうです。推理小説とSF小説をよく借りてきて、読んだようです。

この当時、「本が揃っているところは図書館だ」と思ったと話されました。

中学生の頃は、毎月アニメ雑誌が宮崎家に送られて来たので、それを熟読したと話されました。

毎号のアニメ雑誌の熟読が、「三鷹の森ジブリ美術館」の設立に、とっても役立ちましたと話されていました。

高校生の時は、読むものの幅が広がりましたと言われました。山岳部に所属していたので、新田次郎さんの本に感動したそうです。

「ゲド戦記」は高校生の時に初めて読んだようです。当時、「ゲド戦記」の本が家にあって、父親から進められたと話されました。

大学は信州大学農学部に入学しました。寮ではテレビを持っていなかったので、本ばかりを読んでいたそうです。ノンフィクションの本をよく読んでいたようです。

現在、「本だけはよく読んでいます」と話されました。図書館に行くようになったのは、極めて最近だそうです。

本屋さんの本は、「雑誌に集中していて、面白くない!」と話されました。

まとめると、宮崎吾朗さんは子供の頃は絵本ばかりを眺めていた。しかし、高校、大学と進むにつれ、本を読むようになった。最近は、沢山の本を読んでいます。それもノンフィクションが多いということです。

宮崎吾朗さんの場合、ご両親が本を沢山持っていたので、本が身の回りにあって当たり前だと感じておられたようです。友達の家に行って本がないと、「どうしてかなあー」と感じたと話されていました。

私達の身の回りには、「本が沢山ある環境」って大切だなあーと思いました。

因みに、私の場合、実家に本が殆どありませんでした。そのことが反面教師となって、本を買うのが趣味になっているように思います。
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次に、宮崎吾朗さんの「ゲド戦記」の事について書きます。

2003年秋、「ゲド戦記」をジブリで映像化しないかとの話が持ち上がりました。

当時、宮崎駿は「ハウルの動く城」の作製の真っ最中でした。

鈴木プロジューサーは、良い映画だから、是非、やりたいと心積もりしていたようです。

宮崎吾朗さんには、「若手のオブザーバー」として参加してくれないかと誘われました。

ジブリの映画がヒットすれば、お客さんが「三鷹の森ジブリ美術館」に来ていただけるとの思いがありましたので、「若手のオブザーバー」として参加することとにしたと話されていました。

「宮崎駿」「鈴木敏夫」のコンビで仕事を始めた当時、最初に話題となったのが「ゲド戦記」でした。

宮崎駿がトライしようとしましたが、相手側から断られてしまいました。宮崎駿は、この「ゲド戦記」から大きな影響を受けていました。

こんな経緯があって、若手の人間で「ゲド戦記」の映画作製がスタートしました。

ゲド戦記は、面白くて感動した本であったので、映画制作に色々とアイデアを出したと話されました。
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ゲド戦記は、1巻から5巻までと、外伝1巻があって、合計6冊からなる本です。

1巻「影との戦い」(原作1968年、邦訳1976年)
2巻「こわれた腕環」(原作1971年、邦訳1976年)
3巻「さいはての島へ」(原作1972年、邦訳1977年)
4巻「帰還-ゲゾ戦記最後の書-」(原作1990年、邦訳1993年)
5巻「アースシーの風」(原作2001年、邦訳2003年)
6巻「ゲド戦記外伝」(原作2001年、邦訳2004年)

1巻「影との戦い」が1968年アメリカで出版されました。ゲド少年の内面的な成長が書かれています。

魔法使い「ゲド」の物語で、太古の言葉が魔法の力を発揮します。虚栄心、嫉妬心などから、もう一人の自分が出て来ます。世界は光と影の均衡が大事です。西洋文明の行き詰まりが見られ、内面的、哲学的で、東洋的、道教の影響が現れています。

宮崎吾朗さんは、今、この時代に1巻をやるのか?「心の問題」を取り上げることが本当に大事だろうかと感じていたと話されました。

ジブリ美術館には、若い人達が80人ばかりいます。明るくて、真面目、優しいのですが、心の問題を抱えている人が多かった。自分探しをやり過ぎている人達が多かった。

彼等は、頭で考えるのは得意だが、体で感じて行動するのが下手でした。

「自分探しがテーマであるゲド戦記は、今の時代に良いのではないか」と思いましたと話されました。

3巻「さいはての島へ」では、ゲドは「おじさん」になっています。若い少年と一緒に旅をしています。

テーマは「生と死」です。旅の間、問答をしています。人間のバランスが崩れています。自分がどうしているか分からなくなっています。

3巻の製作を検討しましたが、上手く出来ないと分かったと話されました。

それは、二人で色々と旅をしているが、たいした事件が起きていない。会話によって成り立っている。映画にするには困難だと思ったと話されていました。

テーマ的には良いのだが、映画には難しいと話されました。

2巻「こわれた腕環」は、ストーリーがシンプルで、舞台はずっと洞窟の中です。真っ暗な中です。映画にはならないと思ったと話されました。

4巻以降を読みました。1巻が出て20年以上経ってから書かれました。「ゲド戦記」ファンからは評判が良くないものでした。

ゲドは「おじいさん」になっています。女性達が主人公で話が進んで行きます。

宮崎吾朗さんは,この年齢(約40歳)になって、初めて4巻以降が面白いと気付きました。

ゲドは「引きこもりのおじいさん」になっています。子供がろくでもない子供になっています。

おじいさんはおばあさんと再会し、子供を含めて、再び回復していきます。

生活感が書かれています。哲学的理念でなく、魅力的な短編ばかりが書かれています。

お父さんの宮崎駿さんからは、3巻を基にしたアニメの製作が薦められました。

宮崎吾朗さんは、第3巻を基にしても、第4巻を含めて描きたいと思いましたと話されました。

アニメ映画「ゲド戦記」は、原作通りで、1時間50分、全巻の要素を入れた映画とすることにしましたと話されました。

現在、世界そのものがだんだんと狭くなってきています。世界に不思議が少なくなくなってきています。

世界は未知なものが少なくなって来ていますが、しかし、単純ではありません。東西冷戦のあとも、ややこしい複雑な問題がその中にあります。

大きな状況がある中で、私達は豊になって来ています。何を目標に頑張って行くのが良いのか、若い人達にとっては難しい事です。

若者達は、「親の世代よりは豊になれない」と思っているようです。

従って、昔のような楽天的な冒険物語は作れないと思ったと話されました。

若い人達が主人公の映画としようと思われたようです。

これが冒頭の映画のシーンで、親を殺してしまい、「何であんなことをしたのか分からない」と主人公が話す場面に繋がっています。

人間だから、心と体があります。この心と肉体を均等に保つことが大事である。

世の中は単純ではない。現在、歳を取って、考え方や感じ方が若い頃とは変わって来ました。

今、一番は社会との繋がりを考えていますと話されました。「この瞬間、やれることは何かを考えてやっていくことだ」と話されました。

最後に、将来の夢はとよく聴かれますが、「今、やることを考えるほうが大切です」と答えていますと言われました。
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まとめますと、ゲド戦記作製のコンセプトは、若い人たちを主人公にして、彼等が「心と肉体の均衡を保ちながら生きていくことの大切さ」を描いているように思います。

自分でも回答を持っているわけではない。しかし、「今やることを考えて生きて行くこと」を訴えているように思います。
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by kouchan-life | 2007-03-03 09:34 | 文化

わたしの躁状態

私は、最近、「テレビ」ってのを殆ど観なくなりました。

これって、その理由が上手く説明できないんだけど、自分が躁状態になって来た時に起こる現象です。
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他からの「テレビ」や「ラジオ」などのインプットがとても耳障りに感じたり、「テレビ」を観る気がしなかったりするんです。

そして、パソコンから情報を発信する行為をします。

メールを書いて出したり、テレビやラジオなどでなく、自分自身で出かけた先から入手した沢山の情報を発信したくてたまらなくなります。

また、「コンサート」や「旅行」や「講演会」に出かけ、そこに人を誘ったり、何かの会、例えば「同窓会」を開催しようとしたりします。 そこで、「デジカメ写真」を撮りまくります。

そして、メイルに添付します。 また、ブログに書いて、写真を貼ります。
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これって、「躁状態」のなせる精神的な活動だと思います。

周りの人が時に迷惑を受けることがあります。

このような「躁状態」がやってくるのは、私の場合、3年か4年に一度で、後は「鬱状態」の時間です。

私の場合、「鬱」と言っても、他の人から観ると「おとなしい」という表現がぴったりの精神的な状態です。

一般的には、「鬱」と言えば、あのうっとしい、何も言わない、テンションの低い、眠りのような状態を想像されますね!

私の場合は、先に書いたように、殆ど静かな、普通の状態なんです。

しかし、自分自身からすると、「何も意見が出せない」、「やる気の低い」状態で、「嫌な時期」です。

でも、他人から観ても、家内や子供から観ても、「鬱状態の私がとても静かな人で良いわ」と言われます。
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人の精神状態って、複雑で、面白いですね!!!

私の精神状態の移り変わりは、面白いです。

何時も、自分自身を分析しながら、「こうやろうとか」、「このように治そうとか」考えて、生きています。
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これでおしまい。

こうちゃん
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by kouchan-life | 2007-03-01 06:58 | 自然



定年後の第二の人生を活き活きと生きるためのメッセージ
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