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カテゴリ:文化( 7 )

2007茨木フェスティバルでのボランティア活動

今年の2007茨木フェスティバルは7月28日(土)と29日(日)に行われた。そのテーマは「感じようみんなの思い、育もう明日への思い」である。
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SA茨木のブースでは、子供達におもちゃ作りを体験してもらいながら、我々と子供達とのコミュニケーション高め、子供達に昔からの伝統おもちゃの面白さを知ってもらうことを中心とした活動をした。

その他、輪投げのコーナーも設けた。
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そして、忘れられようとしている日本文化を子供達に継承し、子供達の情緒を育むものとした。
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SAとはシルバーアドバイザーの略称である。財団法人・大阪府地域福祉推進財団(ファイン財団)が主催する「シルバーアドバイザー養成講座」を終了し、大阪府知事から「シルバーアドバイザー」の称号を認定された高齢者ボランティアである。

SA茨木は、茨木市在住のSAで組織されるボランティア活動団体である。私もSAの1人として、このイベントに参加してボランティア活動をした。
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茨木フェスティバルの2日間とも、例年のように、とっても暑い真夏日であった。
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途中で、土砂降りの夕立があり、その間、参加した親子連れにテントで雨宿りをしてもらうハプニングもあった。

しかし、このような出来事は、また、我々と子供達のコミュニケーションの環をひろげ、より楽しいものにした。

SA茨木の多くの会員が活動に参加した。80歳を過ぎた会員も元気に活躍された。

初日に女性会員から「おにぎり」が差し入れされ、暑い中ではあったが、おにぎりのお陰で元気一杯になった。

会員同士の協力体制、これがこのブース内の和やかさをかもし出し、参加してくれた親子連れへの最高のサービスに繋がっていたように思われた。
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今年の茨木フェスティバルにおけるSA茨木の活動では、例年以上に、親子連れの参加が多かったように感じられた。

自画自賛であろうか?


否、例年以上の盛り上りは、参加した会員の協力や努力がそうさせたものである。
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こうちゃん
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by kouchan-life | 2007-07-31 00:23 | 文化

ルートヴィッヒ美術館コレクション「ピカソ展」のこと

2007年3月1日から3月25日まで、大丸ミュージアム・梅田で、ルートヴィッヒ美術館コレクション「ピカソ展」がありました。

私はピカソが大好きなもので、気持ちを高ぶらせながら、観に行きました。ウイークデーではありましたが、とても沢山の人がピカソの絵に引かれて見学していました。
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ルートヴィッヒ美術館は、ドイツケルン市にあり、ケルン駅と大聖堂に隣接しています。

個人の援助によって発展した市民コレクション型美術館としてはドイツで最も古いものだそうです。

現在、ルートヴィッヒ美術館は、アグファ・フォト=ヒストラマ、コンサート・ホール、図書館やカフェなどとともに総合芸術施設として一つの建物に統合されています。

事前調査が充分でないままの見学でした。

ルートヴィッヒ美術館コレクションの知識を持っていれば、もっと楽しめる見学が出来たと反省しています。

勿論、ここでの見学が終わってから、会場出口で、ピカソ展の冊子を購入して、いつものように後からの勉強をしました。

いつものように会場入り口では、「ピカソ展」の出展リストをいただきました。このリスト順に、展示品を見学しました。
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ピカソほど20世紀の芸術を具現化した人物はいないと言われます。

彼は、一生涯持ち続けた精力的な創造力は高齢になっても一向に衰えず、まるで永遠に造形し続けることが出来る創造主の化身のようだったと言われています。

多面性を持つピカソの作品は、芸術界における豊な創造力であり、革新の象徴とみなされるようになりました。

また、ピカソは「近代美術」と同義語としてもよく使われます。

ほぼ80年にまたがるピカソの壮大な仕事は、異質な両極の間を悠然と行き来しました。

伝統、革新、変革を統合し、古典とアヴァンギャルドを調和させました。

優美、生きる喜び、官能の喜び、そして戦争の恐怖を語り、ついには絶対的自由と、前進し続ける芸術至上の自由に到達しました。

目で見たそのままの生命に姿形を与えました。その為、ピカソはさまざまな造形的表現方法を駆使しました。

例えば、油彩の他に素描、水彩を描き、膨大なシリーズの版画を繰り返し作成しました。

同時に、陶芸で実験し、古典的手法で粘土を形作り、ブリキ板からフォルムを切り抜いたり、偶然見つけて拾った物を寄せ集め、思いついた新しい創造物を生み出したりしました。

ルートヴィッヒ美術館コレクション「ピカソ展」では、ピカソが作成した広範囲な作品が展示されていました。

その中で、素描、版画が豊富に展示されていた印象を持ちました。

展示画の中では、ピカソが崇拝する神様「ミノタウロス」が沢山描かれていました。

ミノタウロスは頭が猛獣の姿をし、首から下は人の姿をしています。ミノタウロスは、彼の化身のように感じました。

そして、この人のような化身が女性を犯している絵が、私にとって、とても強烈な印象を与えました。
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また、女性の性器が大きく描かれていました。このほか多く描かれていた「裸婦」の絵でも、女性の性器が大きく露骨に描かれていました。

ピカソにとって、女性の性器は何か格別なものとして写っているように感じました。ピカソの中で、女性の性器は、特別な意味を持つ存在だったのかも知れません。

男性の性器も描かれていましたが、女性の性器の方が強烈に感じられました。これは、私が男性であることから来るものだと思います。

「ピエロ」や「アルルカン」、「銃士」が多く描かれていました。また、版画やエッチングも、とても上手であることを知りました。

陶芸も多く展示されていました。彼にとって、作品作りで創造性を湧かせるために、陶芸はとても大切な存在であったように思いました。

油彩、素描、水彩、版画、陶芸、何れも素晴らしく、そして、それらのいずれにもオーラが漂っていました。
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やはり、ピカソは世界の画家の中で存在しなくてはならない「大切な人物」であったように感じました。

今回、ピカソ展の印象を書きました。
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by kouchan-life | 2007-03-31 03:26 | 文化

「ゲド戦記」宮崎吾朗監督の講演会「わたしの映画わたしの読書」のこと

2007年2月17日(土)、茨木市立生涯学習センターで、アニメ映画「ゲド戦記」の監督・宮崎吾朗さんの「わたしの映画わたしの読書」と題する講演会があり、参加しました。
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私は、アニメ「ゲド戦記」を見ていなく、宮崎吾朗監督のこともまったく知りませんでした。

しかし、私の娘から「ゲド戦記」はとっても面白いアニメだからと教えられていたので、この講演会には、特別に興味を持って出かけました。

講演会では、タイトルの如く、「宮崎吾朗監督が小学生以前から大人になるまでの間、読書の仕方がどのように変化してきたかと言うこと」と、彼がアニメ映画「ゲド戦記」をどのように製作してきたかということにフォーカスして話されました。

ここでは、話の中で、特別に感動した部分を取り上げて書きます。

最初、宮崎吾朗監督が小学生以前から大人になるまでの間、読書の仕方がどのように変化してきたかと言う部分から書きます。

彼は1967年生まれです。当時、子供の絵本が流行っていたようです。そして、バラエティーに富んだ絵が多かったようです。

絵本「こどもの友」シリーズの絵を眺めていたと話されていました。眺めていて、読んでいたのではないと強調されていました。

小学生の時に見た絵本のことをよく覚えていますと話されました。絵本は、目からの視覚情報が刺激的だからと言っておられました。

「見る」、「聞く」、「触れる」など多くの感覚を使うと記憶がどんどん強く認識されて行きます。

テレビの「アニメーション」は「音」と「映像」の2つだから、強く記憶に残ります。アニメーションの監督として感じておられる大切な事なんだと思いました。

次に、「時間の動き」のことを話されました。

大人と子供では、時間の動きが違っていますと言われました。子供が30分と感じているところを、大人は60分の長さに感じるようなことです。子供の時間のほうが短いと言うことです。

また、ご両親の話をよくされました。

両親からは、「テレビアニメは見るな!」と言われて育ちましたと話されました。

映画も、一年間に一回観に行く態度で、その後は、この映画のことを反芻し思い出しながら夢を育んでいましたと話されました。

今の子供は、テレビアニメを一日に何回も見るので、このような反芻して夢を追いかけることをしなくなったと話されました。

昔の方が夢を育むことを多くしたので、この点は、昔の頃の方が良かったと感じました。

小学生の頃は、母親から「本を読みなさい!」とよく言われたと話していました。所沢市に住んでいて、「移動図書館」に良く行ったそうです。推理小説とSF小説をよく借りてきて、読んだようです。

この当時、「本が揃っているところは図書館だ」と思ったと話されました。

中学生の頃は、毎月アニメ雑誌が宮崎家に送られて来たので、それを熟読したと話されました。

毎号のアニメ雑誌の熟読が、「三鷹の森ジブリ美術館」の設立に、とっても役立ちましたと話されていました。

高校生の時は、読むものの幅が広がりましたと言われました。山岳部に所属していたので、新田次郎さんの本に感動したそうです。

「ゲド戦記」は高校生の時に初めて読んだようです。当時、「ゲド戦記」の本が家にあって、父親から進められたと話されました。

大学は信州大学農学部に入学しました。寮ではテレビを持っていなかったので、本ばかりを読んでいたそうです。ノンフィクションの本をよく読んでいたようです。

現在、「本だけはよく読んでいます」と話されました。図書館に行くようになったのは、極めて最近だそうです。

本屋さんの本は、「雑誌に集中していて、面白くない!」と話されました。

まとめると、宮崎吾朗さんは子供の頃は絵本ばかりを眺めていた。しかし、高校、大学と進むにつれ、本を読むようになった。最近は、沢山の本を読んでいます。それもノンフィクションが多いということです。

宮崎吾朗さんの場合、ご両親が本を沢山持っていたので、本が身の回りにあって当たり前だと感じておられたようです。友達の家に行って本がないと、「どうしてかなあー」と感じたと話されていました。

私達の身の回りには、「本が沢山ある環境」って大切だなあーと思いました。

因みに、私の場合、実家に本が殆どありませんでした。そのことが反面教師となって、本を買うのが趣味になっているように思います。
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次に、宮崎吾朗さんの「ゲド戦記」の事について書きます。

2003年秋、「ゲド戦記」をジブリで映像化しないかとの話が持ち上がりました。

当時、宮崎駿は「ハウルの動く城」の作製の真っ最中でした。

鈴木プロジューサーは、良い映画だから、是非、やりたいと心積もりしていたようです。

宮崎吾朗さんには、「若手のオブザーバー」として参加してくれないかと誘われました。

ジブリの映画がヒットすれば、お客さんが「三鷹の森ジブリ美術館」に来ていただけるとの思いがありましたので、「若手のオブザーバー」として参加することとにしたと話されていました。

「宮崎駿」「鈴木敏夫」のコンビで仕事を始めた当時、最初に話題となったのが「ゲド戦記」でした。

宮崎駿がトライしようとしましたが、相手側から断られてしまいました。宮崎駿は、この「ゲド戦記」から大きな影響を受けていました。

こんな経緯があって、若手の人間で「ゲド戦記」の映画作製がスタートしました。

ゲド戦記は、面白くて感動した本であったので、映画制作に色々とアイデアを出したと話されました。
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ゲド戦記は、1巻から5巻までと、外伝1巻があって、合計6冊からなる本です。

1巻「影との戦い」(原作1968年、邦訳1976年)
2巻「こわれた腕環」(原作1971年、邦訳1976年)
3巻「さいはての島へ」(原作1972年、邦訳1977年)
4巻「帰還-ゲゾ戦記最後の書-」(原作1990年、邦訳1993年)
5巻「アースシーの風」(原作2001年、邦訳2003年)
6巻「ゲド戦記外伝」(原作2001年、邦訳2004年)

1巻「影との戦い」が1968年アメリカで出版されました。ゲド少年の内面的な成長が書かれています。

魔法使い「ゲド」の物語で、太古の言葉が魔法の力を発揮します。虚栄心、嫉妬心などから、もう一人の自分が出て来ます。世界は光と影の均衡が大事です。西洋文明の行き詰まりが見られ、内面的、哲学的で、東洋的、道教の影響が現れています。

宮崎吾朗さんは、今、この時代に1巻をやるのか?「心の問題」を取り上げることが本当に大事だろうかと感じていたと話されました。

ジブリ美術館には、若い人達が80人ばかりいます。明るくて、真面目、優しいのですが、心の問題を抱えている人が多かった。自分探しをやり過ぎている人達が多かった。

彼等は、頭で考えるのは得意だが、体で感じて行動するのが下手でした。

「自分探しがテーマであるゲド戦記は、今の時代に良いのではないか」と思いましたと話されました。

3巻「さいはての島へ」では、ゲドは「おじさん」になっています。若い少年と一緒に旅をしています。

テーマは「生と死」です。旅の間、問答をしています。人間のバランスが崩れています。自分がどうしているか分からなくなっています。

3巻の製作を検討しましたが、上手く出来ないと分かったと話されました。

それは、二人で色々と旅をしているが、たいした事件が起きていない。会話によって成り立っている。映画にするには困難だと思ったと話されていました。

テーマ的には良いのだが、映画には難しいと話されました。

2巻「こわれた腕環」は、ストーリーがシンプルで、舞台はずっと洞窟の中です。真っ暗な中です。映画にはならないと思ったと話されました。

4巻以降を読みました。1巻が出て20年以上経ってから書かれました。「ゲド戦記」ファンからは評判が良くないものでした。

ゲドは「おじいさん」になっています。女性達が主人公で話が進んで行きます。

宮崎吾朗さんは,この年齢(約40歳)になって、初めて4巻以降が面白いと気付きました。

ゲドは「引きこもりのおじいさん」になっています。子供がろくでもない子供になっています。

おじいさんはおばあさんと再会し、子供を含めて、再び回復していきます。

生活感が書かれています。哲学的理念でなく、魅力的な短編ばかりが書かれています。

お父さんの宮崎駿さんからは、3巻を基にしたアニメの製作が薦められました。

宮崎吾朗さんは、第3巻を基にしても、第4巻を含めて描きたいと思いましたと話されました。

アニメ映画「ゲド戦記」は、原作通りで、1時間50分、全巻の要素を入れた映画とすることにしましたと話されました。

現在、世界そのものがだんだんと狭くなってきています。世界に不思議が少なくなくなってきています。

世界は未知なものが少なくなって来ていますが、しかし、単純ではありません。東西冷戦のあとも、ややこしい複雑な問題がその中にあります。

大きな状況がある中で、私達は豊になって来ています。何を目標に頑張って行くのが良いのか、若い人達にとっては難しい事です。

若者達は、「親の世代よりは豊になれない」と思っているようです。

従って、昔のような楽天的な冒険物語は作れないと思ったと話されました。

若い人達が主人公の映画としようと思われたようです。

これが冒頭の映画のシーンで、親を殺してしまい、「何であんなことをしたのか分からない」と主人公が話す場面に繋がっています。

人間だから、心と体があります。この心と肉体を均等に保つことが大事である。

世の中は単純ではない。現在、歳を取って、考え方や感じ方が若い頃とは変わって来ました。

今、一番は社会との繋がりを考えていますと話されました。「この瞬間、やれることは何かを考えてやっていくことだ」と話されました。

最後に、将来の夢はとよく聴かれますが、「今、やることを考えるほうが大切です」と答えていますと言われました。
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まとめますと、ゲド戦記作製のコンセプトは、若い人たちを主人公にして、彼等が「心と肉体の均衡を保ちながら生きていくことの大切さ」を描いているように思います。

自分でも回答を持っているわけではない。しかし、「今やることを考えて生きて行くこと」を訴えているように思います。
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by kouchan-life | 2007-03-03 09:34 | 文化

プッチニー作曲歌劇「トゥーランドット」のこと

ここでは、プッチニー作曲歌劇「トゥーランドット」のことについて語ります。

その昔、私がローマに行ったとき、「からから浴場」という野外オペラ劇場で、プッチニー作曲歌劇「トゥーランドット」を観ました。その時のプログラムは以下のようです。

II Fstival Musicale di Caracalla TURANDOT

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この劇場は石造りで最近崩れてきて危険なので、現在、野外オペラ劇場としては封鎖されています。

このオペラ自身が壮大な舞台で公演されるので、この野外劇場での演出はなかなか素晴らしいものでした。この時に観た歌劇「トゥーランドット」は、私が経験した初めてのオペラでした。また、初めて生で観たオペラだったのでした。

少し余談話を書きます。

その時以降、日本に帰ってきて、オペラのビデオやオペラのLD(レーザーディスク)を購入し始めました。

まず、買ったのがメトロポリタンオペラ劇場が製作したヴェルディの歌劇「アイーダ」でした。その次に買ったのが、同じメトロポリタンオペラ劇場製作のロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」でした。

次々とお小遣いの続く限りに、オペラのビデオやLDを購入しました。とても沢山のお金をつぎ込んでしまったので、女房に大変嫌がられたのが懐かしく思います。

結局、DVDも含めて、120枚以上のオペラのソフトを蓄積しました。今も、まだ、気に入ったオペラのソフトがあると、ついつい、お金を使ってしまいます。

オペラのCDは、それなりに持っていますが、やはり、オペラは、映像で観るのが「音楽が聴け」、「舞台や舞台衣装が観られ」、その上に「演出まで楽しめる」、最高の至福が味わえるものなのです。

オペラの映像は、神様から与えられた最高の恵だと思っています。

オペラは、その昔、イタリアを初めとするヨーロッパ各地で大変に人気になり、貴族の最高の芸術と成りました。ですから、私は、オペラが総合芸術の最たるものを味わう意味で、映像でオペラ鑑賞することを薦める一人です。

話をもとに戻します。

プッチニー作曲歌劇「トゥーランドット」のことについて、私の思いを語ります。

最初、ローマで生のオペラを鑑賞したとき、私はイタリア語で歌われるオペラの意味がまったく分かりませんでした。ストーリもちんぷんかんぷんでした。

しかし、思い出になって印象深く残っているのは、次のような事です。王子「カラフ」の女の奴隷「リュー」が歌うアリアなんです。リューの声が良かったこともあって、素晴らし声(メド・ソプラノ)と歌だったと脳裏に焼きついています。

これが、多分、第3幕のリューが歌うアリア「氷に包まれた姫君も、Tu che di gel sei cinta」だったと思っています。

この場面になると、リューの愛の深さに感動して、自然と涙が頬をつたうのは私だけでしょうか?誰でも、この時のリューの「愛」に感動して涙するのではないでしょうか!

映画でも、感動したときに、涙しますよね。感情の起伏の激しい人ほど、感動屋さんほど泣きますよね。感動屋の私は、たまりません。

この第3幕には、今回の冬季オリンピックで荒川静香さんがアイススケートの金メダルを取った時に流した、王子カラフのアリア「誰も寝てはならぬ、Nessun dorma !」が歌われます。

この曲も、とっても素晴らしい、名アリアです。

冬季オリンピックでは、3大テノールのパバロッチも歌いました。これが印象に大きく残っているので、更に輪を掛けて有名となりました。また、オペラを知らない人も、この曲「誰も寝てはならぬ」だけは忘れられず、日本ではポピュラー曲となりました。

歌劇「トゥーランドット」の映像ソフトは、3枚持っています。

一つは、メトロポリタンオペラ劇場が製作したもので、エバ・マルトンがトゥーランドット、プラシド・ドミンゴがカラフ、レオナー・ミッチェルがリューを歌っています。エバマルトンのトゥーランドット役は、これ以来、有名になっています。

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私は、このトゥーランドットが、ゼッフィレッリ演出の壮大さとダイナミックさ、歌手マルトン、ドミンゴ、ミッチェルの声の良さ、指揮者レバインの音楽の素晴らしさを含めて、最も好きです。

二つめが、中国の紫禁城で公演されたトゥーランドットです。メーターが指揮をし、ジョヴァンナ・カゾッラがトゥーランドット、セルゲイ・ラーリンがカラフ、バルバラ・フィリットーリがリューを歌っています。あの有名な中国の映画監督「チャン・イーモウ」が演出家として作製されました。

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オペラの原作地、中国が演奏場所であり、「紫禁城」が舞台であることに意義が大きいし、中国の軍隊がエキストラとして参加したのも、今までと違って興味深い演出でした。衣装や舞台装置がとても凝っているのが特徴です。しかし、歌手の声は先のものより劣るし、着物などに時代錯誤を感じさせるものがあります。

最後の三つめのものは、2002年8月ザルツブルグ音楽祭で新製作され、収録されたものです。

現在風に大きく変化した演出が特徴で、ロシアの有名な指揮者ゲルギエフがタクトを振っています。

ガブリエーレ・シュナウトがトゥーランドット、ヨハン・ボータがカラフ、クリスティーナ・ガイヤルド=ドマスがリューを歌っています。パウントニーが演出をしています。これまでにない新しいトゥーランドットという印象を持つものです。

これらを聞き比べ(観比べ)出来るのが、映像ソフトを持っている強みです。何度でも、何時でも好きな時に、最高の演出の、最高の指揮者の、最高の歌手のオペラが鑑賞出来ます。

先にも書きましたが、私はこプッチニー作曲の歌劇「トゥーランドット」とが大好きです。三作品では最初のメトロポリタンの出来が最高のように思っています。

また、プッチニーのオペラ音楽の美しさ、アリアの綺麗さ、沢山ある作曲家のオペラの中で際立っている、最高と言えるように思っています。また、プッチーニの作品の中でも傑作中の傑作だと思っています。

オペラの作品は、個人個人の感じるところが違うので、他の愛好家は、また、違った意見だと思います。

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しかし、プッチーニの「トゥーランドット」は、世界各国で高頻度に公演されるオペラの代表です。「誰も寝てはならぬ」も、とてもよく歌われるアリアなんです。
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by kouchan-life | 2007-01-25 10:35 | 文化

一人でのカラオケを楽しみます。

最近、時々、一人でカラオケに行きます。多いときで1週間に一回ぐらいです。

カラオケ喫茶に行って、自分が唄いたい歌を大声で歌います。運動をしているのと同じぐらいにエネルギーを使いますので、爽快な気分になります。リフレッシュします。

周りの人は、私の歌など聞いていることは少ないと思います。
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カラオケ喫茶のマスターやママが、お客の曲が順番にはいるように配慮します。満遍なく唄えるように曲を入れてくれます。

各人が自分が歌いたい曲を紙に書いて、テーブルの上に置きます。マスターやママがそれを見て、順番に曲を入れます。自分の番が回ってくると、曲に乗って楽しく、思う存分に唄います。

他人が歌っているときは、その曲に聞き入るか、自分だけの世界にいるかは勝手で、どちらかと言うと、他人の歌にはあまり介入しないのが礼儀のように思います。

それよりも、自分の歌を好きなように唄うのが大事です。カラオケ喫茶に唄いに来るお客さんは、大抵、歌が上手です。
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私が行っている茨木のカラオケ喫茶は、昼1時から5時までの4時間、自由に歌って、ソフトドリンクとお茶菓子が付いてほとんど1000円です。

夜になると値段が数倍に成ります。お店によって、値段が違います。

スナックに行って、テーブルチャージを払って、好きでないお酒を飲んだり、たばこの煙を浴びる、そしてあまり面白くもない「シモネタの話」に合わせたりすると、10000円は必要です。

カラオケ喫茶に行って唄うよりも経済性がとっても悪いし、わたくしの場合は不健康です。

歌を楽しむだけならば、カラオケ喫茶もなかなか楽しい時間が過せます。とっても楽しめます。

一人で行くカラオケのことについて書きました。

このほかにも一人で行くカラオケの楽しみをご存知の方は、別の楽しみ方を教えて下さい。
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by kouchan-life | 2007-01-21 12:32 | 文化

子供達の情緒や感性を育てなかったことが「いじめ」や「自殺」につながったのでは!

最近の子供達は、昔と比較して「情緒」や「感性」が低いように思われてならない。

今の親達は、子供を育てている過程で、子供と接触する時間が少なく、さらに、子供の情緒や感性を育てることの重要性を意識することが薄いように思われます!!

子供達の何もかもを「学校教育」や「先生」に任せきりになっていないだろうか?

これと関連して、「情緒や感性の低い子供」が増え続けているように思われます。

例えば、どこかに出かけることは多くあっても、ほとんどが車を使って移動する。玄関から遊園地、映画館、ショッピングセンターまでを車で移動する。子供達は車内でゲームをしたり、カーナビで漫画を観たりしている。外の景色を見ることは少ない。

これでは、木や草花を眺め、そこいらを走っている動物を眺めて季節を感じたり、生物の営みを見たり感じたりすることはないように思われる。

車で出かけずに、近所の田んぼや神社仏閣がある辺りまで歩いてみては如何でしょうか!!

歩いている途中には、沢山の自然の営みを見ることが出来ます。実際の目を使っての観察です。自然を眺め、お父さんやお母さんと会話する中で、子供達は今まで経験したことのない自然の営みを発見します。大発見です。

車で行くのと違って、自然が詳しく観察できます。五感を活性化し、どれだけ感性が育てられることだろうか、また、情緒ある子供達に成長して行くことだろうか!

情緒や感性が育てられないと、他人を大事にする気持ちや生き物を育てる気持ちが養われない。生き物には生命や寿命があることすら理解できない!

特に、ゲームなどで生き物を育てたリ、育てられなくて死なせたりしていると、ゲーム感覚で生き物を殺したりする。生き物を殺すことを何の拘りもなく実行する。その後、スイッチを入れると、また生き返ったりします。このようなことばかりをしていると、殺すことや生き返ってくることが、ゲーム感覚になってしまっている。

このようになった情緒や感性では、「人を愛する気持ち」も「生き物を大切にする気持ち」も薄いように思われませんか?

この感覚でいると、他人や動物をいじめたり、殺したりすることが平気で出来るようになるとは思いませんか?

また、自身の気に入らないことがあると、もう一度生まれ変わって新しい自分をつくりたいと思って、簡単に自殺し、生き返れるような錯覚に陥ることともありうるとは思いませんか?

これって、短絡なものの考え方だけのようには思わないのですが如何でしょうか?

このまま、親が気付かずに努力しないで感性の低い子供達を育て上げ続けるならば、今話題になっている「いじめ」や「自殺」のなくならない社会が継続するように思います。

私のこの考察が間違いであれば良い。しかし、なんだかそのような気がしない。

お父さん、お母さん、どうぞ時間をとって子供達を外に連れ出し、彼等と会話し、自然の営みを体験させてあげて下さい。彼等は、必ず、花鳥風月を感じる情緒や感性の高い子供に育ちます。

子供の教育は親がするものであって、学校教育や先生に任せきりにすることだけは無くしましょう!!

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by kouchan-life | 2006-12-17 06:47 | 文化

アメリカの中高年の生き(活き)方

アメリカの中高年の生き(活き)方は、日本の中高年と大きく違っています。

なお、ここで書いていることは、アメリカ人と結婚してアリゾナに住んでいる日本女性から教えていただいたものです。

アメリカ人はこうだ、日本人はこうだと一概に言うことは難しいことです。また、アメリカと言っても広く、東海岸と西海岸では違いがあります。

しかし、一般的には、アメリカ人の方が、前向きに楽しく、毎日を送っているように見えるとのことです。

第一として、アメリカ人は年齢のことをあまり言わない。と言うよりも、年齢を気にしません。

例えば、どんな小さな街にもvisitor centerがあり、その街への訪問者は情報を得るために、ここに立ち寄ります。必ずと言っていいほど、その観光案内所の窓口にいるのは、60歳代の人々です。時には80歳ほどの人も見かけます。多分ボランティアだと思います。

また、博物館や国立公園内のガイドも、多くは60歳以上です。これらのボランティアは、無償ではなく、交通費やガソリン代ぐらいは出ているとものと思います。自分の好きな分野を来館者に説明し、何時までも若さを保っているように見えます。

アメリカでは、求人募集をする時、性別、年齢、肌の色を限定してはいけません。結構年取った女性がサービス業で見かけます。例えば、ファーストフードのお店やレストランなどです。

日本では、さしずめ若い女性が前面に出て、年取った女性は隠れたところで皿洗いと言う感じですが。

アメリカでは、年齢による上下関係は表立ってありません。ご存知のように、英語では丁寧語はありますが、尊敬語や謙譲語は日常生活では見られません。

そして、服装も年齢によって、あまり変わりがないのです。夏であれば、20代から70代まで、スーパーなどではみんなTシャツ、短パンと言ったいでたちです。

第二として、"常識"と言う言葉はあまり聞かれません。

"常識"を辞書で見ると、common senseとあります。日本で言う「そんなの常識よ、知らないと格好が悪いわ」とするのはcommon knowledgeで、本来のcommon senseとは違った意味です。common knowledgeは、慣習的に知っていなければいけない"常識"です。

何か起こった時に、とっさの判断でその事態を切り抜ける、人間として智恵を働かせる、それがアメリカのcommon senseです。

因習的に「こういう場合にこうする」と言うのは、アメリカではcommon knowledgeです。日本ではそういう慣習的に行われている暗黙のルールが多すぎるように思います。

そして、それらの社会的な暗黙のルールが、新しいことや人と違う生活を始めようとする時、大きな妨げになっているように思われます。言葉を言い換えると、日本では昨今common knowledgeはあるが、common senseのない人が多いように思われます。

第三として、アメリカ人は移動型民族だと思います。

定年後、多くの夫婦は自分達にとって快適な、居心地の良い場所へと移動します。仕事場が近いのでAに住んでいたが、仕事が離れればAに住む必要がないという訳です。夫婦で協議して、気候の良い、物価の安い場所へ移住します。

仕事もそうですが、アメリカでは、その時その時で、夫婦は自分達の住む家を選んでいます。一生の内で職場をいくつも変える人が多くいます。ひとつの場所に長くいると言う、日本人の根底には、「墓」への意識が深く根付いていると思われます。

第四に、その他のことを書きます。

男性に関しては、良く喋る人が多いです。朝10時頃、カフェや喫茶店に行くと、1つのテーブルを囲んで、リタイヤーした男性が2時間はゆうに会話を楽しんでいます。

中高年に限らず、若い人達も相対的に男性の方が良く話すと思います。

そしてもう1つ、幾つになっても、女性に関心を持っています。80歳の男性が65歳の女性と結婚したりしています。

最後に、パワフルなアメリカの中高年の例を書きます。

学者一筋で研究のみの生活を送っていた女性が、ドライバーひとつ持ったこともなければ、電球ひとつ変えたこともなかったのに、たった一人で自分の家を建てたのです。多くの人達の助けをすべて拒否し、一人で1日10時間から15時間掛けて1年半掛りで建ててしまいました。手伝ってもらうと、自分が成長しない、学習しないと断ったらしいです。

画家の女性の場合、84歳で、20年前に主人を亡くし、ふらりとアリゾナンを訪れ、その場所が気に入り、土地を買って自分の家を建てました。息子さんたちの助けもありましたが、3年ほど掛かってレンガと石造りの家を建てました。その土地の歴史を調べ、絵を描き、一冊の本にまとめました。彼女の本や絵葉書が近くの本屋さんで売っています。

男性の例です。幼少の頃ポーランドからアメリカに来て、16歳で5歳上の女性と結婚しました。現在69歳です。アメリカに来て以来、幾つもの仕事をして、冨を築きました。いくつかの家やモーテルを所有し、風景画の作家です。しかし、彼は、まだ、自分の他の才能を発掘しようとしています。彼の家に泊めてもらった時、家にオルガンが置いてあったので尋ねたところ、日曜日に教会で弾いているのだとの答えでした。彼はオルガンも演奏できるのです。

アメリカの中高年の生き(活き)方を書きました。日本の中高年の生き(活き)方と、随分と違っているように思われませんか?

私は、アメリカの中高年者の生き(活き)方を参考に、出来るだけアクティブに日々を送っています。

心と体の健康を維持しながら、自分の思いの達成を目指し、活き活きとしたいと思っています。
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by kouchan-life | 2006-12-01 05:15 | 文化



定年後の第二の人生を活き活きと生きるためのメッセージ
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