Active Second Life

自分探し

自分探しは、私も、一時期、その事ばかりを考えていた時期がありました。

そんなことを長々と書きます。

その時期は、定年前から定年後数年間(1998年頃から2004年まであたり)です。

定年を控えて、「どのように自分の人生を切り開いていくのか」、「どのような生甲斐を求めていくのか」など大きな課題だったからだと思います。

定年少し前、ニチイ学館というところに3ヶ月間通い、ヘルパー2級の資格を取りました。

私は、もともと、獣医医師の資格を持っていたので、どうしてヘルパーの資格を取るのですかとよく質問を受けました。

当時、その理由や答えを出せないでいました。

定年後は何をしようかと悶々としていました。

しかし、定年時には、3~4つの目標が出来ていました。何故か、自分探しが出来ていました。

その目標を、定年退職時の祝賀会の挨拶にしました。

それは、「今までの仕事時代に出来なかった事をすることだ」とまとめられます。

私は、まず、「会社時代に出来なかった勉強をすること」にしました。

勉強は、「学びの風土が良い」ところでしたかったので、大好きな京都大学を選びました。

私は、会社時代に製薬会社の研究所に勤務し、医薬品の研究開発に携わる仕事をしていました。

それは、医薬品開発における「副作用」の研究です。

特に、生殖発生毒性の試験実施と実験結果のヒトへの外挿(動物に現れた毒性が人に本当に現れるのかどうかを評価すること)に関わっていました。

その関係で、私の会社時代のテーマは、先天異常のヒトにおける発生を評価し、メカニズムを研究することでした。

当時、京都大学医学部の解剖学講座は、この領域の最先端の研究者がおられました。

講座の教授には、研究者仲間として指導していただいていたので、その講座にお世話をお願いし、先天異常のメカニズムの勉強がスタートしました。

でも、我々夫婦が、家内の90歳の母親を世話するという事情が発生し、京都大学での勉強は中止をせざるを得なくなりました。
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次に、JICAで仕事をする機会があって、北京で3週間、中国の若い研究者にGLPのことや生殖発生毒性試験法のことを指導しました。

その間、また、韓国のBIOTOXTECH研究所で研究顧問としての仕事を始めました。

しかし、単身赴任で仕事をしていた関係上、私生活が慣れなかったためか(睡眠障害とキムチ味の食事)、遺伝的なことや年齢的なことが原因してのことか、糖尿病になってしまいました。
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凡そ半年で、韓国から引き上げねばならない結果となりました。

その他には、体力作りや筋肉作りのため、フィットネスジムに通ったり、ソフトテニスを楽しんだりしていました。

2005年になってから、senior volunteerの勉強をするため、大阪府が支援する「シルバーアドバイザー養成講座」に1年間通いました。

専攻は「国際交流活動」としました。

それは、定年後にしてきたことの多くが国際交流活動で、この事をもっと勉強しようと思ったからです。

それは、この事をもっともっとマスターすると、「これからの人生を活き活きとして生活できそうだ」と考えたからです。

現在の私は、ボランティア活動、特に、国際交流の一つとして、外国人への日本語支援をしながら多くの時間を過しています。そして、その事から活き活きとした生甲斐を貰っています。

「自分探し」の話を長々と書きました。

最後に、結論を書くことで終わりにしたいと思います。

自分探しは、あまり先のことは考えずに、「自分のバックグランドに立脚して、したいと思うことを積極的に始めること」のように思います。

その中から最も適したことを選んで発展させると、「活き活きと生甲斐を感じる生活が出来る」と結論します。
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by kouchan-life | 2007-02-10 07:17 | 国際交流
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定年後の第二の人生を活き活きと生きるためのメッセージ
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